前田智徳wikiやプロフィールは?成績や年俸は?息子や嫁情報は!

25年ぶりの優勝で赤ヘル旋風を日本列島に巻き起こした広島東洋カープ。
今回は、
そのカープにとって伝説的なあの選手をご紹介します!前回の優勝時には売出し中だったこの選手も解説などで楽しそうによくしゃべるスイーツ好きの陽気なおじさんに(笑)。
今年は鈴木誠也選手が「神ってる」で有名になりましたが広島の元祖「神」はこの選手。

さあ、
今回は前田智徳についてご紹介していきます!

広島の「神」前田智徳の経歴


広島の英雄として知られる前田智徳ですが、

出身は熊本。
「肥後もっこす」の言葉で知られる熊本男児は堅気で頑固。

昭和時代に圧倒的な強さを誇り国民的スターだった柔道家の木村政彦や、
「ボールが止まって見える」という発言で有名なこちらも打撃の「神様」こと川上哲治など、
前田と同じ求道者的な人物を多く輩出しています。

前田の出身高校は熊本工業高校。
先ほど紹介した川上哲治や同じく元巨人の緒方耕一(現カープ監督の緒方孝市と間違えないように!)、

現在ロッテ監督で2年連続でAクラス入りを果たした伊東勤、
中日の荒木雅博などを輩出した強豪校です。

甲子園には高校2年の春夏、
高校3年の夏と3回の出場を果たしています。

高校3年夏の県大会では、

勝負を避けてくる相手投手に「勝負せんかい!」と怒鳴り、
相手投手の勝負球をホームランにしたという伝説もあります。

1989年のドラフト会議、

九州出身の前田は福岡のホークスからの指名を期待しており、
ホークスも使命をほのめかしていましたが、
最終的に交渉権を得たのはカープ。

前田は泣きながらプロ入りを拒否しますが、
当時の宮川スカウトの熱心さに遂に折れ、

カープ入りを決意します。

前田が「神」になるまで

数々の「天才」も褒めちぎる真の天才・前田智徳
3度の三冠王を獲得した元中日監督の落合博満が「天才は俺じゃない。
前田だよ」「真似していいのは前田だけだ。

前田だけを見習え」と褒めそやし、

今や世界的な打者として名を馳せるイチローなども絶賛するその打撃は新人時代から異彩を放っていました。
余談ですが、
イチローのトレードマークでもある背番号「51」は前田がカープに入団した際の背番号。

カープの「51」はいまでは「神ってる」鈴木誠也が継承しています。

プロ入り2年後の1991年には一軍に定着。
開幕戦ではプロ初ホームランを先頭打者ホームランで記録しています。

その後は2番打者として1年を戦い抜き、

チームの優勝に大きく貢献しました。
打率.271に加え14盗塁、
そして外野手として史上最年少でのゴールデングラブ賞も受賞しており、
当時の前田は走攻守三拍子そろった期待の若手としてチームの期待を一身に背負っていました。

翌1992から1994年にかけては3年連続のベストナイン、

打率3割を達成します特に1994年には首位打者のパウエルにわずか3厘差の.321を記録します。
長打力も一気に増し、
1993年には27本塁打、

1994年にも20本塁打を記録し、
その素質を一気に開花させました。

しかし、
その絶頂期にある前田を悲劇が襲います。

1995年の5月23日のことでした。
開幕からアキレス腱の痛みに悩んでいた前田でしたが、
この日の第1打席でセカンドゴロを放ち一塁への走塁時に、

右アキレス腱を断裂してしまいます。

天才の呼び名をほしいままにしながら、
ついに無冠のまま引退してしまった前田の悲劇の始まりです。

「いっそのこともう片方も(アキレス腱が)切れてほしい」「前田智徳という打者は死にました」など悲痛なコメントを残しています。

再びの悲劇と再起

1996年には開幕戦にこそ出場しますが、
肉離れにより5月まで再び離脱。

その後全試合に出場し、

打率3割に返り咲きます。
この年から1999年まで4年連続の打率3割越えを記録しますが、
200年に再びアキレス腱の怪我が前田を襲いました。

前年のオフにチームの主砲である江藤が巨人へ移籍した穴を埋めるため4番を期待された前田は、
今度は左のアキレス腱の痛みに耐えかね、
79試合の出場をし、

離脱してしまいます。
右アキレス腱だけでもなく左アキレス腱までもを前田は負傷してしまったのです。

しかし前田は諦めませんでした。

2001年に結婚した前田は家族という存在ができ、
これまで以上に野球に対してひたむきな姿勢で向き合うようになります。

2002年には再び打率3割を記録するなどを活躍を見せ、

カムバック賞に輝くなど、
往年の輝きを取り戻し始めました。

シーズン打率3割越えは2004、

2005、
2006年も記録し、

通算11度目のシーズン打率3割を達成します。
2007年には一流打者の証である2000本安打を記録し、
両足のアキレス腱の負傷から復活を遂げ大記録を打ち立てた前田にカープファンが大きな声援を与えました。

代打の神様としてチームの精神的支柱に

2010年ごろからは主に代打の切り札として活躍しだします。

もともと1試合を通してコンスタントに打ち続けるのが前田の持ち味であったので、

代打への転身は大きな苦労を伴いましたが、
2012年には「代打の神様」としてシーズン打率.327を記録しました。

翌2013年も代打の切り札として期待されていましたが4月に受けた死球が限界を感じ始めていた前田にとって決定打となり、
引退を決意します。
10月の引退試合では、

8回に代打として登場し、
センター返しの打球を放つも惜しくもピッチャーゴロに。

9回には主に代打で起用され守備につくこともなかった前田が2009年の開場以来守備に就くことのなかった本拠地のマツダスタジアムの外野の守備につき、
対戦相手の中日ファンも含めて両軍大声援を送る引退試合になりました。

同じくカープの前田として活躍し、

現在はロサンゼルス・ドジャースで活躍する前田健太投手は前田智徳の引退に関して自身のブログで「僕がマエケンと呼ばれる事になったのはカープにとって絶対的存在前田智徳さんがいたから」とのコメントを発しています。

2013年は推定年俸5600万円といわれています。

「神」前田の家族って?

グラウンドでは孤高の侍、
ファンからは「神」呼ばわりされていても家ではパパ。
2001年の3月に結婚した相手の英美さんは当時フリーアナウンサーを務めていました。
大の甘党で食生活もボロボロだった前田の食生活を見直させ、

怪我が多いながら息の長い選手にしたのはこの英美さんの功績とも言えるでしょう。

お子さんは2人います。

ともに男の子で、
2000本安打の際に花束を渡す役や引退セレモニーでも登場した兄弟は、
ファンの間で「お父さんにそっくり!」と話題になりました。
特に次男の浩由くんは2015年に開催されたNPB12球団ジュニアトーナメントで広島Jr.のキャプテンとして出場し、

早くもカープファンの間で期待されています。
「神の子」がカープに入団することとなれば、
ファンは歓喜することでしょう。

まとめ

ここまで、広島の「神」こと前田智徳について紹介してきました。
今年は「神ってる」が有名になりましたが、
ぜひとも広島の元祖「神」を押さえておきたいですね。
もしかしたら、
緒方監督の次は前田監督かも?

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